ピクニック at ハンギング・ロック

映画

1900年、ある晴れたバレンタインの日、
ハンギングロックへピクニックに出かけた少女たちは忽然と姿を消した

カルト的人気を誇り、今もなお語り継がれているという伝説的映画「ピクニック at ハンギングロック」が40年ぶりにリバイバル上映されていると知り、観に行ってきました!

作品紹介

【作品名】
ピクニックatハンギング・ロック(1975年)

<原題:Picnic at Hanging Rock>

*日本公開:1986年


【スタッフ・キャスト】

<監督>
ピーター・ウィアー



<出演>

レイチェル・ロバーツ
アン=ルイーズ・ランバート
ドミニク・ガード
ヘレン・モース

【あらすじ】

1900年、2月14日、セイント・バレンタイン・デイ。
寄宿制女子学校アップルヤード・ カレッジの生徒が、二人の教師とともに岩山ハンギングロックに出かけた。

岩山では、力の影響からか教師たちの時計が12時ちょうどで止まってしまう不思議な現象が起こる。

マリオン、ミランダ、アーマ、イディスの4人は、岩の数値を調べると言い岩山へ登り始めるが、イディスは途中で怖くなり悪鳴を上げて逃げ帰る。

その後、岩に登った3人と教師マクロウが、忽然と姿を消してしまう・・・

引用元:「ピクニック at ハンギング・ロック」公式サイト

良家の子女が集う寄宿女学校、バレンタインデー、白いモスリンのサマードレス、レースの日傘、輝くように美しい少女たち、ハート型のアイシングケーキ、、、ものすごく乙女な世界観です。

その美しさ、儚さは観ているこちら(夢子)をなぜか不安な気持ちにさせるほど・・・。

少女たちに何が起こったのか

楽しみにしていた年に一度のピクニックの日。

ハンギングロックの麓にあるピクニック場で、思い思いの時間を過ごす少女や教師たち。

楽しい時間を過ごす美しい少女たちとは対照的に、なんだか心がザワザワする音楽や効果音。

そして少女たちの行く末を暗示するかのように映し出される、毒蛇や蜘蛛の巣、お菓子に群がる蟻の大群、聳え立つ雄大な岩山のシーンに不穏さが増して行きます・・・。

もっと近くでハンギングロックを見てみたいと、岩山に登り始める4名の少女たち(ミランダ、マリオン、アーマ、イディス)。

普段規律正しい生活を課せられている少女たちは、何かに導かれるように黒い編み上げブーツ、そして靴下を脱ぎ捨て頂上へと向かっていきます。

その姿に異様な雰囲気を感じ、怯え始めるイディス。
(ちなみにこのイディスは、美しく優秀な他3名の女生徒とは異なり、お世辞にも美しいとは言えない&ぽっちゃりで不平不満が多いキャラ。)

そのイディスは途中で恐怖によりパニックを起こし、一心不乱に悲鳴を上げながら一人逃げ帰ります。

数々の謎

その頃、ハンギングロック麓にあるピクニック場でも思いもよらぬ事態が、、、
引率の堅物教師、ミス・マクロウまでもが、いつの間にか忽然と姿を消していたのです。

そこへパニック状態で雑木林の中から飛び出てきた”イディス

何があったのか彼女から聞き出そうとするものの、混乱のあまりほぼ何も覚えていない。

ただ一つ聞き出せたことは、、、逃げ帰る途中、一人ハンギングロックへ向かうマクロウ先生を見かけたこと。

そしてその姿は、服を脱ぎ捨てズロース一枚だったこと・・・。

さらに少女たちが姿を消して1週間ほど経過した頃、行方不明の生徒の一人”アーマ”が衰弱が激しいものの何とか息のある状態で奇跡的に発見されます。

しかし、アーマもハンギングロックでのこと、他の少女たちのことは何一つ覚えていません。

ここでもまた不可思議なことが。

アーマが発見された時、身につけていたはずのコルセットが消えていたのです。

そして、警察官や町中の人々が一丸となり捜索活動を行うものの、残る2名の少女については未だ消息がつかめません。

事件をきっかけに崩れ始める完璧な世界

ハンギングロックでの出来事は、”綴織”のように複雑さを増していき、ひとり、またひとりと、その事件の一部に織り込まれていきます。

例えば、あの日、姿を消す直前の少女たちを見かけた英国貴族の青年、アップルヤード学院の校長、そこで働く女教師や使用人、学院の生徒たち、そして姿を消した生徒の一人”ミランダ”を慕い、彼女だけに心を許していた孤独な少女セーラ・・・。

ミランダの帰りを待つセーラ
引用元:Bunkamuraル・シネマ

この事件をきっかけに歯車が狂い出し、完璧だったはずの世界が崩れ始めます。

原作「ピクニック・アット・ハンギングロック」

原作は1967年に刊行された同名の「ピクニック・アット・ハンギングロック」

原作者のジョーン・リンジーが70歳の時に見た夢をもとに書き上げた小説だそうです。

そう言われてみれば・・・確かに”夢”のような物語。

原作では、映画の中では描かれなかった”事件の一部に織り込まれていく人々”についてのエピソードが丁寧に描かれており、むしろこちらがメインなのではという印象さえ受けました。

なお、巻末の”訳者あとがき”によると、この本には「幻の最終章」があるんだとか。
(当時、編集者の提案によって削除されたらしい。)

夢子が読んだ翻訳版(創元推理文庫)でも原書に従って最終章は収めていないとのことですが、要約が簡単に紹介されているので読んでみるのも面白いと思います!

結末が意味することとは? *ネタバレ注意

2人の少女と、マクロウ先生は一体どこに消えてしまったのでしょうか。

あらすじにも書いたように、ハンギングロックのピクニック場に到着後、教師たちの腕時計が12時ちょうどで止まってしまうという現象が起こります。

確か、その時「磁力のせいね」的なセリフがあったような気がするので、、、

現実的に考えると、磁力のせいで少女たちは方向感覚を失い転落した、と考えるのが一番ありえる線なのではないかと思うのですが、、、。

では、なぜマクロウ先生はズロース姿だったのか、、、。

アーマは何故発見された時、コルセットを身につけていなかったのか、、、。


なぜ少女たちは、靴や靴下を脱ぎ捨てたのか、、、。


これらは一体何を意味しているのか。

結局、行方不明となった少女たちは最後まで見つかることはなく、謎を残したまま物語は終わりを迎えます。

「〜夢か現実か、悪夢か吉夢か、フィクションかノンフィクションか?〜」

少女と教師の失踪事件が実際にあったのかどうかについては、いまも議論が続いているという。

このあたりについても原作の巻末に解説があるので、興味のある方はぜひ。


関東では、下記2箇所にて現在上映中&上映予定のようなので、この機会にお見逃しなく!
*〜詳しくはコチラ

<東京都>Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下 *6/20まで
<千葉県>キネマ旬報シアター *6/22〜7/5

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