夢子が初めて「フレッド・アステア」という名前を知ったのは、遥か昔・・・小学生の頃。
ブログでも何度か書いていますが、子供の頃宝塚大好きだった夢子。
無謀にも”宝塚に入りたい!”という夢を抱き、バレエのレッスンに励む少女でした。
そんな夢子が中でも大ファンだったのが、当時花組男役トップスターだった「大浦みずき」さん。
大浦さんは本名から愛称「なつめ」さんと呼ばれていたのですが、、、そのなつめさんがとってもダンスの上手な方で「宝塚のフレッド・アステア」と称されていたんです。
当時子供だった夢子には、フレッド・アステアが誰なのかは分からなかったものの、なつめさんがそう呼ばれていたことにより「フレッド・アステア=ダンスが上手な外国人」とインプットされたのでした。
ちなみに、なつめさんのお父様は芥川賞作家の阪田寛夫さんという方。
誰もが一度は歌ったことがあるであろう童謡「サッちゃん」をはじめ、「おなかのへるうた」「夕日が背中をおしてくる」「歌えバンバン」など数多くの詞を手掛けた方でもあります。
(尚、少女時代のほとんどを費やした宝塚への情熱も、なつめさんの退団を機に徐々に冷めていき、、、結局宝塚受験することもなく夢子の夢は終わりを告げたのでした・・・。)
ダンスの神様!フレッド・アステア
フレッド・アステア(1899-1987)は、1930年から1950年にかけて活躍したハリウッドのミュージカル映画黄金期を担ったスター。
あのマイケル・ジャクソンも、アステアを尊敬し大きな影響を受けたそうですよ。
また数年前に放送されたテレビ番組の中で、日本が誇るバレエダンサー熊川哲也氏も”すごいダンサー”としてアステアの名前を挙げていました。
熊川氏もアステアのすごさは「脱力感」と仰っていましたが、、、本当に、さも大したことがないかのように難しいステップを滑らか&軽やかに、そしてエレガントに踊るんですよね。
そんなわけで、なつめさんきっかで、フレッド・アステア、そしてMGMミュージカルが大好きになった夢子。
純粋にダンスっていいな〜♪音楽っていいな〜♪ミュージカルっていいな〜♪とワクワクした気持ちにさせてくれます♪
夢子のイチオシ「ジーグフェルド・フォリーズ」
数あるアステア作品の中で、夢子が特に好きなのは、、、「ジーグフェルド・フォリーズ」(1945年)
もう世界観がオシャレすぎる♡
なつめさんが宝塚のショーの一場面で踊られていた大好きなダンスシーン。
元々はこのジーグフェルド・フォリーズ の中でフレッド•アステアとルシル・ブレマーが踊ったもののオマージュ?だったということを大人になってから知りました。
それがきっかけでこの作品に辿り着いたのですが、初めて観た時は素敵すぎて涙が出そうなくらい感動しました!
12分くらいの短いシーンなのですが、ストーリーもよく出来ていて(紳士に扮した泥棒に恋してしまうお嬢様、みたいな設定)セリフは一切ないのに本当に素敵でこれぞ夢の世界!って感じなのです。
この作品はオムニバス形式になっているのですが、フレッドアステアと、同じくミュージカル映画界の大スタージーン・ケリーの夢の競演シーンなどもあり、なんとも豪華な作品です♪
最後に、、、夢子の乙女の原点
今も昔もダンスの上手な方はたくさんいらっしゃると思いますが、なんというか、大浦みずきさん、、、なつめさんのダンスはただ上手いだけでなく、都会的で軽妙洒脱、それでもって優雅で品があり・・・どことなく古き良き時代の外国の香りを感じさせてくれる方でした。
・・・ここからは夢子の勝手な想像ですが、、、
クリスチャンの家庭に生まれ育ったというなつめさん。
幼馴染で子供のころ毎日のように遊んだという阿川佐和子さん曰く、「阪田家は当時珍しかったアイスクリームを作る機械があったり、おばさまが生クリームのケーキを手作りしてくださったり、どこか外国の香りがした」というようなことを昔仰っていました。
また作家であるお父様の影響からか”本の虫”だったというなつめさん。
なつめさんから醸し出される、あの自然体で素敵な雰囲気・世界観は、そのような環境から生まれた物なんだな、と勝手に一人納得している夢子です。
なつめさんは、残念ながら2009年に病気のため53歳という若さで天国に旅立たれました。
フレッド・アステア、コール・ポーター、ベニー・グッドマン、、、舞台を通し多くのことを知りました。
大人になった今でも夢子の興味のあることや好きな物のほとんどがあの頃に観たり聴いたりしたものから形成されていると気づかされます。
素敵な物にたくさん出会わせてくれた宝塚、そしてなつめさんはやっぱり夢子の乙女の原点です。